都会では水は排水管を流れますが、山では川となって流れ、川底に水苔を残していきます。一郎さんが紡ぎだすことばは、その川底で水苔を食べて元気に泳ぎ回る魚で、それを読む私たちの心に動き出すきっかけをくれるのです。川の水も、行き着くところは海ですね。人が海に憧れるわけを、どでかい大陸の真ん中に住んでいると忘れがちになるんですが、海に会うとすぐに思い出します。また会いに行きたいです。
そしてまた 豊饒な墓場から 生まれるのね
「心の墓場は海だ」海を見てると、心が寂しくなる感情を海に流しているから?違うただ今は無性に胸がかゆい
心が その澱を捨て去って透明な泡になり海に溶け込んでいく時が満ち 泡はエクトプラズマとなって立ち上るそして再び生命の源になる一路さんの写真、まるで宗教画のようです。
私は空を切り取ってその中で深く眠りたいです。
海は始まりでもあり、終わりでもあるってこと?その‘海’で泳ぐサカナはなんだろう。あたしにとってのこびりついて いらいらするほどの思い出は、まるで家のキッチンで魚をさばいた、何日かあとに発見するかぴかぴになった鱗だったりします。はがしたいけどはがれない。いや、はがしたくない。
駅までの道、マンション横の用水路、浅瀬の川を見ながら歩く。川を見ながら、自分の精神はこのように流れているだろうか、と確認する。淀んだ用水路を見ていると、流れない精神、老いた精神を思う。汚れた処に留まれないきれいな処にも留まれないそれが私の精神、と思いたい。
誰かにとっての大切な思い出が、心の墓場に流れていってしまうなら早く、私は行かなくてはならない海にいつか思い出してもらえるように躍起になってそぎ落としたものであってもそっと水垢をすくって瓶に入れ、蓋をしなくてはいつでも取り出せるように忘れないでほしい追いつこうと必死なのに行ってしまう消さないで消えないでkie
思い出とはなんでしょう。その時は忘れたくないと思っていても、気が付いたら重荷になっているのです。きれいな思い出のままにとはどういうことでしょう。過ぎ去った日々は心に重くのしかかっているのです。「心の墓場は海だ」だから大きすぎる海に畏怖を抱くのでしょうか。生命の源から生まれ、いずれその源に当たり前に消えていくのでしょうか。全てはぐるぐると回り続けるのでしょうか。としたら、流れずに留まっている思い出とは、その思い出の意図は何なのでしょうか。
都会では水は排水管を流れますが、山では川となって流れ、川底に水苔を残していきます。
返信削除一郎さんが紡ぎだすことばは、その川底で水苔を食べて元気に泳ぎ回る魚で、それを読む私たちの心に動き出すきっかけをくれるのです。
川の水も、行き着くところは海ですね。人が海に憧れるわけを、どでかい大陸の真ん中に住んでいると忘れがちになるんですが、海に会うとすぐに思い出します。また会いに行きたいです。
そしてまた 豊饒な墓場から 生まれるのね
返信削除「心の墓場は海だ」
返信削除海を見てると、心が寂しくなる
感情を海に流しているから?
違う
ただ今は
無性に胸がかゆい
心が その澱を捨て去って
返信削除透明な泡になり海に溶け込んでいく
時が満ち
泡はエクトプラズマとなって立ち上る
そして再び
生命の源になる
一路さんの写真、まるで宗教画のようです。
私は
返信削除空を切り取って
その中で
深く眠りたいです。
海は始まりでもあり、終わりでもあるってこと?
返信削除その‘海’で泳ぐサカナはなんだろう。
あたしにとってのこびりついて
いらいらするほどの思い出は、
まるで家のキッチンで魚をさばいた、何日かあとに発見するかぴかぴになった鱗だったりします。
はがしたいけどはがれない。
いや、はがしたくない。
駅までの道、マンション横の用水路、浅瀬の川を見ながら歩く。
返信削除川を見ながら、自分の精神はこのように流れているだろうか、と確認する。
淀んだ用水路を見ていると、流れない精神、老いた精神を思う。
汚れた処に留まれない
きれいな処にも留まれない
それが私の精神、と思いたい。
誰かにとっての大切な思い出が、
返信削除心の墓場に流れていってしまうなら
早く、私は行かなくてはならない
海に
いつか思い出してもらえるように
躍起になってそぎ落としたものであっても
そっと水垢をすくって
瓶に入れ、蓋をしなくては
いつでも取り出せるように
忘れないでほしい
追いつこうと必死なのに
行ってしまう
消さないで
消えないで
kie
海は始まりでもあり、終わりでもあるってこと?
返信削除その‘海’で泳ぐサカナはなんだろう。
あたしにとってのこびりついて
いらいらするほどの思い出は、
まるで家のキッチンで魚をさばいた、何日かあとに発見するかぴかぴになった鱗だったりします。
はがしたいけどはがれない。
いや、はがしたくない。
思い出とはなんでしょう。
返信削除その時は忘れたくないと思っていても、
気が付いたら重荷になっているのです。
きれいな思い出のままにとはどういうことでしょう。
過ぎ去った日々は心に重くのしかかっているのです。
「心の墓場は海だ」
だから大きすぎる海に畏怖を抱くのでしょうか。
生命の源から生まれ、
いずれその源に当たり前に消えていくのでしょうか。
全てはぐるぐると回り続けるのでしょうか。
としたら、流れずに留まっている思い出とは、
その思い出の意図は何なのでしょうか。