2011年2月20日日曜日

海となる


真っ暗な
排水管を流れる水は
沢山の水垢を残します

その水垢が思い出だとすると
流れている水は感情か

渦を巻き
感情を吸い込むことをやめない排水口が
心の入り口だとしたら
僕は毎日
それに手を突っ込み
中にこびり付いた思い出を
そぎ落とそうと躍起になっているのです


流され消える思い出と
またこびり付く感情から生まれる思い出


つまり
心の墓場は海だ





一路




10 件のコメント:

  1. 都会では水は排水管を流れますが、山では川となって流れ、川底に水苔を残していきます。
    一郎さんが紡ぎだすことばは、その川底で水苔を食べて元気に泳ぎ回る魚で、それを読む私たちの心に動き出すきっかけをくれるのです。
    川の水も、行き着くところは海ですね。人が海に憧れるわけを、どでかい大陸の真ん中に住んでいると忘れがちになるんですが、海に会うとすぐに思い出します。また会いに行きたいです。

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  2. そしてまた 豊饒な墓場から 生まれるのね

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  3. 「心の墓場は海だ」


    海を見てると、心が寂しくなる
    感情を海に流しているから?

    違う


    ただ今は
    無性に胸がかゆい

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  4. 心が その澱を捨て去って
    透明な泡になり海に溶け込んでいく
    時が満ち 
    泡はエクトプラズマとなって立ち上る
    そして再び
    生命の源になる


    一路さんの写真、まるで宗教画のようです。

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  5. 私は
    空を切り取って
    その中で
    深く眠りたいです。

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  6. 海は始まりでもあり、終わりでもあるってこと?
    その‘海’で泳ぐサカナはなんだろう。


    あたしにとってのこびりついて 
    いらいらするほどの思い出は、
    まるで家のキッチンで魚をさばいた、何日かあとに発見するかぴかぴになった鱗だったりします。
    はがしたいけどはがれない。
    いや、はがしたくない。

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  7. 駅までの道、マンション横の用水路、浅瀬の川を見ながら歩く。

    川を見ながら、自分の精神はこのように流れているだろうか、と確認する。
    淀んだ用水路を見ていると、流れない精神、老いた精神を思う。

    汚れた処に留まれない
    きれいな処にも留まれない

    それが私の精神、と思いたい。

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  8. 誰かにとっての大切な思い出が、
    心の墓場に流れていってしまうなら

    早く、私は行かなくてはならない
    海に

    いつか思い出してもらえるように

    躍起になってそぎ落としたものであっても

    そっと水垢をすくって
    瓶に入れ、蓋をしなくては

    いつでも取り出せるように

    忘れないでほしい

    追いつこうと必死なのに
    行ってしまう

    消さないで
    消えないで

    kie

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  9. 海は始まりでもあり、終わりでもあるってこと?
    その‘海’で泳ぐサカナはなんだろう。

    あたしにとってのこびりついて 
    いらいらするほどの思い出は、
    まるで家のキッチンで魚をさばいた、何日かあとに発見するかぴかぴになった鱗だったりします。
    はがしたいけどはがれない。
    いや、はがしたくない。

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  10. 思い出とはなんでしょう。
    その時は忘れたくないと思っていても、
    気が付いたら重荷になっているのです。
    きれいな思い出のままにとはどういうことでしょう。
    過ぎ去った日々は心に重くのしかかっているのです。

    「心の墓場は海だ」

    だから大きすぎる海に畏怖を抱くのでしょうか。
    生命の源から生まれ、
    いずれその源に当たり前に消えていくのでしょうか。
    全てはぐるぐると回り続けるのでしょうか。

    としたら、流れずに留まっている思い出とは、
    その思い出の意図は何なのでしょうか。

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