猫さんのまっすぐな瞳に吸い込まれそうですでも、人は1人じゃ生きていけないと思います。って、分かってますよね、ごめんなさいm(_ _)m
猫さん、強い眼差しですね。抗うわけじゃなくて自分のままでいたい、自分の確認というかなんというかそんな印象をもちました。一路さん、どうかそのままで。わたしも変わりたいけど変わりたくない毎日です。そんな中サカナクションの音楽を好きな気持ちは安心できる変わらない気持ちです。
猫さんの、不安な中にも何かを悟ったような眼差しと、しっかと踏みしめている前足に、じーんとしてしまいました。いい写真です。ひょっとして、子猫の表情の中にご自分を見られましたか?誰かに寄りかかるのではなく、ひとりでしゃんと立てた時、見えてくるものってあるんでしょうね。何だかそんな空気が漂っているように思いました。みんな、ひとりです。でも、ひとりではない。子猫と一路さんの未だ見ぬ明日に幸あれ!ps.ウチのキジトラも元は拾い猫ですが、緊張感の欠片もなく、ヒデヨシみたいにころっころしています(涙)
子猫も親離れなんですね。子猫の堂々とした写真ですね。ホームはここです。ひとりで生きていけるのかはわからないけれど。
連休中、実家に帰ると、写真の猫ちゃんと似た模様のノラ猫ちゃんが、決まった時間に食事をしに来ていたのを思い出します。他でも食事していたらしく、その子は体格のいい猫ちゃんでしたが。。。「お腹がすいて困ることがあったら、そこで見ている山口さんちの息子さんに頼りなさいね。」と、母猫は言ったかもしれないですね。
わたしの心のホームはサカナクションです。わたしも猫になって一郎さんの様子を見に行きたいです・・・。ちゃんとご飯食べてるのかにゃ~んタバコは吸いすぎてないかにゃ~んみたく。アイフォーンのカメラで撮影してるのでしょうか。最近の写真の比率が好きですよ。
まじりけのない茶色の目がこれからみつめて生きていく世界はどんな景色でしょう。いいお顔をしていますね。私も逃げず潔く生きていかなければ。*オツベル実家にあるオツベルと象の絵本を思い出して読みたくなりました
「北極のナヌー」という映画で同じように親シロクマが子供を威嚇して追い払うシーンを思い出しました。私はもっと自立しなければと自分にいいきかせているこのごろです。でも、きっと、自立と独りは微妙に違うのだろうな、と思いながらもひとりぼっちを強く強く感じて寂しくなってしまいます。ひとりであるという自由をもっと肯定したいです。
オツベルじゃなかったのですね。一路さんは一路さんですもんね。大丈夫。子猫のその感情の中に生まれる強さは、とてもピュアでとても優しいものでしょうね。一路さんは、私の心のブリーチ伯爵です(^^)ありがとう
思うに、一路さんは両親に十分に愛され、育ったのでしょう。その居心地の良い場所から出るということは、よっぽどのきっかけがないとできなかったことでしょう。私は人並みの愛情を注がれて成長したわけではなかったらしく、親や家に対してとてもドライです。いや、親は彼らなりにとても愛してくれたと思います。でも、私という人間については彼らは何も知らないのです、私の好きな食べ物や好きな人も。子供の世話をするのに精いっぱいで、子供のことを何も知らない親。というと暗い人生を過ごしたようですが、私も彼らに負けず、ドライで、物心ついたときには精神的に親離れしていて、それが当たり前と思い、育ちました。なので、思いっきり自由に生きさせてもらいました。孤独、自立、自由、これらの言葉の発するものはまったく違いますが、ある一つのことを言い表す言葉であるような気がします。
私も、一路さんて大事に育てられた印象があります。私の家族は問題が多かったから。オツベルっていいですね。読んだ事がないので、図書館で借りてみます。私は、地球に人間が自分独りになったとしても、生きていかなくてはいけないんだと強く思った事がありますが、今はやっぱり、人との繋がりを求めてしまいます。
生まれて死ぬまで一人だけど、みな、自分に可能な範囲内で他者を想って、想い続けていて、それは微量でもなんとなく集まってそれなりの支えになってるなーと私は最近思います。日記を楽しみに読んでいる私たちは、一路さんにちょびっと支えられて、います。逆も、あるといい。
猫さんのまっすぐな瞳に吸い込まれそうです
返信削除でも、人は1人じゃ生きていけないと思います。
って、分かってますよね、ごめんなさいm(_ _)m
猫さん、強い眼差しですね。
返信削除抗うわけじゃなくて自分のままでいたい、自分の確認というか
なんというかそんな印象をもちました。
一路さん、どうかそのままで。
わたしも変わりたいけど変わりたくない毎日です。
そんな中サカナクションの音楽を好きな気持ちは
安心できる変わらない気持ちです。
猫さんの、不安な中にも何かを悟ったような眼差しと、
返信削除しっかと踏みしめている前足に、じーんとしてしまいました。
いい写真です。
ひょっとして、子猫の表情の中にご自分を見られましたか?
誰かに寄りかかるのではなく、ひとりでしゃんと立てた時、
見えてくるものってあるんでしょうね。
何だかそんな空気が漂っているように思いました。
みんな、ひとりです。
でも、ひとりではない。
子猫と一路さんの未だ見ぬ明日に幸あれ!
ps.ウチのキジトラも元は拾い猫ですが、緊張感の欠片もなく、ヒデヨシみたいにころっころしています(涙)
子猫も親離れなんですね。
返信削除子猫の堂々とした写真ですね。
ホームはここです。
ひとりで生きていけるのかはわからないけれど。
連休中、実家に帰ると、写真の猫ちゃんと似た模様のノラ猫ちゃんが、決まった時間に食事をしに来ていたのを思い出します。
返信削除他でも食事していたらしく、その子は体格のいい猫ちゃんでしたが。。。
「お腹がすいて困ることがあったら、そこで見ている山口さんちの息子さんに頼りなさいね。」
と、母猫は言ったかもしれないですね。
わたしの心のホームはサカナクションです。
返信削除わたしも猫になって一郎さんの様子を見に行きたいです・・・。
ちゃんとご飯食べてるのかにゃ~ん
タバコは吸いすぎてないかにゃ~ん
みたく。
アイフォーンのカメラで撮影してるのでしょうか。
最近の写真の比率が好きですよ。
まじりけのない茶色の目がこれからみつめて
返信削除生きていく世界はどんな景色でしょう。
いいお顔をしていますね。
私も逃げず潔く生きていかなければ。
*オツベル
実家にあるオツベルと象の絵本を思い出して
読みたくなりました
「北極のナヌー」という映画で
返信削除同じように親シロクマが子供を威嚇して追い払うシーンを思い出しました。
私はもっと自立しなければと自分にいいきかせているこのごろです。
でも、きっと、自立と独りは微妙に違うのだろうな
、と思いながらも
ひとりぼっちを強く強く感じて
寂しくなってしまいます。
ひとりであるという自由をもっと肯定したいです。
オツベルじゃなかったのですね。
返信削除一路さんは一路さんですもんね。大丈夫。
子猫のその感情の中に生まれる強さは、
とてもピュアでとても優しいものでしょうね。
一路さんは、私の心のブリーチ伯爵です(^^)
ありがとう
思うに、一路さんは両親に十分に愛され、育ったのでしょう。
返信削除その居心地の良い場所から出るということは、よっぽどのきっかけがないとできなかったことでしょう。
私は人並みの愛情を注がれて成長したわけではなかったらしく、親や家に対してとてもドライです。
いや、親は彼らなりにとても愛してくれたと思います。
でも、私という人間については彼らは何も知らないのです、私の好きな食べ物や好きな人も。
子供の世話をするのに精いっぱいで、子供のことを何も知らない親。
というと暗い人生を過ごしたようですが、私も彼らに負けず、ドライで、物心ついたときには精神的に親離れしていて、それが当たり前と思い、育ちました。
なので、思いっきり自由に生きさせてもらいました。
孤独、自立、自由、これらの言葉の発するものはまったく違いますが、ある一つのことを言い表す言葉であるような気がします。
私も、一路さんて大事に育てられた印象があります。
返信削除私の家族は問題が多かったから。
オツベルっていいですね。
読んだ事がないので、図書館で借りてみます。
私は、地球に人間が自分独りになったとしても、
生きていかなくてはいけないんだと強く思った事がありますが、
今はやっぱり、人との繋がりを求めてしまいます。
生まれて死ぬまで一人だけど、みな、自分に可能な範囲内で他者を想って、想い続けていて、それは微量でもなんとなく集まってそれなりの支えになってるなーと私は最近思います。
返信削除日記を楽しみに読んでいる私たちは、一路さんにちょびっと支えられて、います。
逆も、あるといい。